『日帰り誘拐』――椎名誠氏の連載エッセイより
[サンデー毎日]
私は、いわゆる殴り合いのケンカというものをしたことがない。あまりそういう機会がなかったのもあるし、昔はひどく病弱だったのでケンカをすること事態が無謀だったということもある。
あまり平和ボケしているとは思われなくないのだが、そういった意味では私もよそから見れば平和ボケした日本人の一人なのだろう。少なくとも、ムエタイやプロレスを会得している、観光客狙いの泥棒たちから見れば。『日本が平和だな、と思うのは夜の銀座を眺める時ですね。』 というのは、椎名誠氏の言葉だ。椎名氏は以前、アフリカのナイロビで引ったくりに遭い、その巧妙な手口に手も足も出なかったという。 引ったくりといっても単独犯ではない。ひったくった人間から別の人間へと、現金、パスポート入りの鞄はフットボールのようにパスされ、さらに受け取った人間を車が待っていて、逃走。車のナンバーをメモしていた人間が番号を教えてくれたかと思いきや、その男もグルで番号はデタラメ。なんというチームプレーだろう。 それに対して、銀座では酔っ払ったおじさんたちが連れで警戒も用心もなく歩いている。先進国から見ても途上国から見ても、夜の銀座はかなり異常な風景なのだという。
日本でも、最近のニュースには物騒な事件がしばしば報道される。親殺しだの、斧だの、そんな思わずどきっとするような単語が出てくる。 だが、その事件よりも危ないと思ってしまうのが、そういったニュースを聞いて、多くの人が『もう日本も駄目だね』などといったような言葉を口にしている事だ。 その言葉には、何となく『自分には理解できない』『自分ではどうしようもない、そういう時代なのだ』そんな風なニュアンスが込められているような気がしてならない。
やけによそよそしいというか、自分の世界にそのニュースが入ってきていないというか。言葉を借りれば、『平和ボケ』しているというか。事件が起こっても、その事件を受け入れないのだ。軽く受け流して、心の中は平和なのだ。関心のあるニュースはと言えば、人の死よりもスキャンダルなのだ。
それで済むのなら、それはそれで幸せなのかもしれない。だが、そのような受け流し方でいつまで我々はやっていけるだろうか。椎名氏も言っているように、現代は犯罪国際化時代。 いくら現在の日本が冒頭に挙げたような危なっかしい国でなくとも、いつまでも『よそはよそ』、では日本人の平和ボケはいつか取り返しのつかないことになってしまうのではないだろうか。
野中潔




