今週の気になるマガジンレビュー
ちょっと気になるトレンドを、編集部がピックアップ。おもしろ・まじめに語ります

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2007年11月 バックナンバー

2007年11月27日

『ミシュランガイド東京』「星乱発」に異議あり!

[週刊ポスト]
マガ出典雑誌/ミシュランガイド東京版、とても話題になっていますね。本をネットで販売する「アマゾン」では、予約段階から和書総合一位を獲得したのだとか。テレビでも毎日のように紹介されています。しかし、108年の歴史を誇るこのグルメ本に、ちょっと疑問の声が出ているみたいですよ。

今週の「週刊ポスト」(小学館)の「『ミシュランガイド東京』「星乱発」に異議あり!」によると、今回の東京版は今までのミシュランガイドとは、内容がずいぶん違うみたいです。紹介されている店全てに星が付いているのは、東京版が史上初。 フランス版で星を獲得している店は全体の14,5%、同じくニューヨーク版では7,4%に過ぎないのだとか。今までは星が付かない店の方が圧倒的に多く、だからこそ星一つひとつの価値が高かったのです。また、3つ星の店が8店も乱発されている中で、料理店形式の店としては間違いなく頂点に立つ、と言われる店が2つ星に止まっていたり、審査の内容に首を傾ける人もいるそうです。

うーん、こうやって見ると、日本人はミシュランの策略にうまく乗せられちゃっている感じですね。 「星を付けた高級な店をたくさん載せて話題にすれば、金のある日本人はみんな本を買うはずだ」なんて思われているのでしょうね。現に発売開始以降、書店では売り切れが続出しているらしいですよ。 いくら権威のある所が出した本だとしても、料理を評価しているのは赤の他人です。美味しい、まずいは自分の舌で判断するのが一番なのではないでしょうか。日本には他のグルメ本も溢れているのですから、こんなに大騒ぎすることはないと思います。ちょっと冷静になりたいですね。

ところで今回取り上げられた店はどこも超高級。食事をするには、ランチで1万円、ディナーでは3~5万円は必要なのだとか。……まあ、僕は本で我慢しときます。
吉田隼人

2007年11月22日

決定版整理術

[日経ビジネス Associe]
マガ出典雑誌/仕事をする人間に必要な「片付けの原則」は、一つしかないらしい。それは、「必要なものを必要な時だけ、確実に取り出せるようにする」こと。今回紹介する特集『決定版 超整理術』の冒頭には、そんなことが至極シンプルに書かれていた。

というわけでこの特集では、様々な企業で働くビジネスパーソンたちが実践している整理術の実例やテクニックを紹介している。
必要なものを必要な時だけ――簡単なようで実に難しい。まあ、できない人が多いからこその特集だろう。

以前ここのコーナーで、『日経WOMAN』に掲載されていた片付け術的な記事を取り上げたけれど、今回は男性向けなだけあって特集内容がよりビジネスライク。
興味を覚えたのは、保存方法にデジタルとアナログの二種類があること。当然といえば当然なのだが、声高にITと叫ばれている現代社会で「アナログ」と聞くと、一瞬「不便そう」と思ってしまうのも確か。
しかし整理のプロたちはそんな不安をもろともしない。誰もが一度は文房具屋で見かけたことがあるであろうクリップ・付箋・ラベル・等を用いて、素晴らしい資料倉庫を作り出してしまうのである。

これに関連して、「思考の整理は必ずアナログ(紙)で行なう」というケースも紹介する。「人間の思考は頭の中で練るだけでは、なかなか深化させることができない」んだそうで、この方法を紹介するボストンコンサルティンググループの菅野氏は顧客ごとに全ての情報を網羅したノートを作るという。

そういえば学生時代の試験前、貰った資料を引っくり返して教科ごとにまとめノートを作り、それを読んで覚えて試験勉強してたっけなあ……。貰ったプリントはファイリングして、資料集コピーしてノートに貼り付けたりして。
パソコン上での資料の整理に頭を抱えるそこのあなたも、どこか懐かしい(?)アナログ整理なら、意外とうまくいくのかも?
當間光沙

田原総一朗のギロン堂

[週刊朝日]
マガ出典雑誌/しょっぱなから極論ではあるが、自分はメディアというものは弱い立場になった者を批判するものだと思っていた。大敗した政治家、問題を起こしたスポーツ選手、不正の見つかった企業――そういったものがどのメディアでも盛んに取り上げられ、好き勝手に批判される。そういうもので、その標的には見境がないものだと思っていた。

だが、言われてみれば、そうとも限らないのだ。無差別に人を狙っているメディアの標的から、無条件で外れている者が居た――広告主だ。

かつて日本経済新聞に居たことがあったものの、企業の実情をありのままに書けないと考えて退社し、やがて独立してMy News Japanという会社を設立した渡邉正裕氏の書いた本の中から、著者の田原氏は『広告宣伝上位ランキング』という表を紹介している。 その名の通り、新聞、雑誌、テレビといったメディアにどれだけ広告宣伝費をかけているかという表だ。トヨタ、松下電器、本田技術、ソフトバンクモバイル……と、極めて有名な企業の名が並んでいる。

私はその事件のことは知らなかった(か、忘れていた)が、04年にそのトヨタが、同社の車による人身事故で5人が重軽傷を負うという問題を起こしたことがあった。 その翌年、熊本県警による捜査本部が立ち上げられ、トヨタの本社が家宅捜索された。だが、この時点では有名な新聞社――朝日、毎日、読売、日経など――は、本来大きなニュースになるはずであるその事件を全く取り上げなかったのだという。その原因は、『広告主のトヨタにとってマイナスになる』からだ。

もちろん、私は個人的にトヨタを批判するつもりでもなく、トヨタがこういった利点を意図して広告の掲載をしているとも思ってはいない。だがそれでも、この記事を読んでメディアのあり方を疑わずにはいられなかった。
報道の自由、言論の自由、と言えば聞こえがいいが、その権利はもともと小さな力しか持たない人々が大きな力に抑えられるのを防ぐために与えられた権利であったはずだ。批判の対象にする相手を選び、弱いものの揚げ足を取って転ばせる権利ではないだろう。それでは、権力に支配され、人為的な偏りのある報道ばかりを繰り返す、言論の自由のない国のメディアと本質的に同じではないか。

 権利であったはずが、ともすれば、権力の口実になりかねない言論の自由、そのあり方を見つめなおし、我々も今のメディアのあり方の現実を見た上で、眼に見える情報の真実を考える必要があるのかも知れない。
野中 潔

2007年11月15日

仮想報道『ウィキペディアの使い方』

[週刊アスキー]
マガ出典雑誌/自分の通っている大学のキーワードであり、自分自身大きくその影響を受けている言葉に、『知識の構造化』という言葉がある。
これは自分なりの解釈ではあるが、知る、手に入れる情報のストックのされ方には二種類あると思う。

一つは、その文字情報を記憶するなり参照するなり何らかの方法によって手に入れ、それをあたかも自分の知識であるかのように利用する方法。
そして、もう一つは、その知識を自分の中に理解して取り入れ、自分なりの解釈や応用も加えた上で利用する方法である。


言うまでもなく望ましい知識のあり方としては後者なのだが、実際我々が知識を習得する際、その全てを後者の方法で取り込んでいるというわけではない。
そして、我々が前者の方法でのみ情報を取り入れ、そして使うことが、現在増えてきているように思える。

もう聞き飽きたかも知れないが、現在は情報化社会であり、我々が手にする文字情報は非常に速いペースで増え続けている。
メール、週刊誌、インターネット。それらを読むことで、我々は有名人のスキャンダルから外国のテロまで、非常に多くのことを知った気になれる。だが、一体そのうちのどのくらいの情報に対して、我々は自分なりに考えを加え、吟味した後に取り込んでいるのだろうか。


ウェブ上の百科事典サイトである『Wikipedia』はある意味では現代の情報の多さを象徴する存在だとも言える。自分も含め、多くの人がちょっとした調べものや資料探しの際にこれを使っていることだろう。

だが、ウィキペディアは単なる情報の参照先としてそこにあるわけではない、と思う。ウィキペディアは、その情報の扱い方に独自の方針を持ち、その運営者のみならず参加者までもが、『知識』のあり方について模索しているのだ。
例えば、本文を作成するための議論の場所として用意されている場所『ノート』。しかし、そこではたびたび書き手ごとの立場、あるいは信条同士がぶつかりあった論争が起きる。

最終的に表に出てくる記事は比較的中立的で、こぎれいにまとまったものが多い。だが、議題をより深く吟味するため、現状を深く、生々しく考えるためには、そういった激しいせめぎ合いの中を覗いてみるのも、情報の一つのあり方だと思う。


ウィキペディアを単なる一時的な情報の参照源としてだけではなく、興味のある議題の項目を覗いてみてはどうだろうか。そこには、今まで見ていたウィキペディアの整然さとはまた別の面白さがあるかもしれない。

野中潔

2007年11月14日

「監視カメラ氾濫」社会の不安

[SPA!]
マガ出典雑誌/先日、自宅の近所を歩いていると、私の通っていた中学校の入り口に監視カメラが付いていることに気付きました。私が中学生の頃は無かったのですが、昨今の治安の悪化を受け、最近新しく取り付けられたそうです。「SPA!」(扶桑社)の「『監視カメラ氾濫』社会の不安」によると、最近では学校だけでなく、町の至る所に監視カメラが設置されるようになったみたいですよ。

日本有数の繁華街、新宿・歌舞伎町では435台もの監視カメラが設置されているのだとか。風俗店のキャッチが警察官に、「あまり派手な勧誘はするなよ」と咎められたこともあるそうで、効果は確かに出ているみたいです。

驚きだったのが、公衆トイレにまで設置されているという監視カメラ。秋葉原駅前にオープンした100円の有料トイレ「オアシス@akiba」では、入り口脇に監視カメラが設置されています。「写すのは手洗い所だけ」とのことですが……そうは言ってもちょっと嫌ですね。

監視カメラの増加を、記事では否定的に取り上げていましたが、防犯上の理由であれば私は基本的に賛成です。繁華街や銀行、公衆トイレ等、犯罪が起きやすいところにはもっと監視カメラを付けるべきだと思います。
よく、「プライバシーの侵害だ」という意見を耳にします。しかし、余程おかしなことをしていなければ、大抵の人は気にも止められないでしょう。誰かに見られているのはちょっと嫌かもしれませんが、それで犯罪が減るのであれば少しくらい我慢しても良いのではないでしょうか。

「自由に行動できない監視社会になる」等ということもよく出ますが、それは監視カメラが悪いのではなく、カメラを使う側のモラルや法整備の問題です。確かに使い方には注意するべきでしょう。
治安の悪化が話題になる今、監視カメラを上手に利用して安全な町を作ってほしいものですね。  
吉田隼人

2007年11月 9日

捨てる!技術

[日経WOMAN]
マガ出典雑誌/ここ数年、「掃除ブーム」な気がする。数々の掃除に関する本が発売・ベストセラーになり、「片付けられない女症候群」という言葉が世間に広まった。
今回日経WOMANで特集されたのは、ずばり「捨てる術」。溜まっていくばかりで捨てられない不用品を捨てるコツや、物を捨てた後の収納法や掃除法を紹介している。女性誌で多いこの手の特集だが、あまり話題にならないだけで、世の中には「自分は片付けられない男である」という人も案外たくさんいるのではないだろうか?

そうじ力研究会代表の枡田光洋氏曰く、「捨てられないモノには、過去と未来の自分が投影されている」んだそうで。人が物を捨てることができないという状況は2パターンあり、一つは思い入れがあって捨てられない状況。これは、「過去の自分に捕われている」から。そしてもう一つは、いつか使うから捨てられないという状況。これは「未来の自分に過度な期待をしている」から。この二つをすっぱり捨てないと、過去や未来を気にしすぎて、“今”の自分をしっかりと生きられないのだという。
……うーん、耳が痛い。

「捨てる」ということは、「二度と戻らない」ということ。同じ物を再び購入することはできるけれど、それは作られて間もない新品で、自分が今まで持っていた物とはやっぱりどこか違っている。
いくら過去と決別したいと思っていても、やっぱりどこか名残惜しさはあるだろうし、未来のどこかで再びそれが活用されるもんならされてほしい、という感情は意識して取り払えるものでもないんじゃないだろうか。
しかし、「古いものを捨てると、新しい出会いがある」のも事実。捨てた分だけ、物理的にも精神的にもスペースができるからだ。

記事を読んで物を捨てるのは簡単だけれど、捨てるときに「自分なりの基準」を作って、一つ一つその基準に合うかどうか判断することが重要なんじゃないか。

ちなみにこの特集、「ズルズル恋愛をすっきりさせる」など、尚更耳が痛いコラムも充実している。「最近身辺重いかも」と思う方は、是非ともご一読をおすすめする
當間光沙

2007年11月 8日

『日帰り誘拐』――椎名誠氏の連載エッセイより

[サンデー毎日]
マガ出典雑誌/私は、いわゆる殴り合いのケンカというものをしたことがない。あまりそういう機会がなかったのもあるし、昔はひどく病弱だったのでケンカをすること事態が無謀だったということもある。 あまり平和ボケしているとは思われなくないのだが、そういった意味では私もよそから見れば平和ボケした日本人の一人なのだろう。少なくとも、ムエタイやプロレスを会得している、観光客狙いの泥棒たちから見れば。

『日本が平和だな、と思うのは夜の銀座を眺める時ですね。』 というのは、椎名誠氏の言葉だ。椎名氏は以前、アフリカのナイロビで引ったくりに遭い、その巧妙な手口に手も足も出なかったという。 引ったくりといっても単独犯ではない。ひったくった人間から別の人間へと、現金、パスポート入りの鞄はフットボールのようにパスされ、さらに受け取った人間を車が待っていて、逃走。車のナンバーをメモしていた人間が番号を教えてくれたかと思いきや、その男もグルで番号はデタラメ。なんというチームプレーだろう。 それに対して、銀座では酔っ払ったおじさんたちが連れで警戒も用心もなく歩いている。先進国から見ても途上国から見ても、夜の銀座はかなり異常な風景なのだという。

日本でも、最近のニュースには物騒な事件がしばしば報道される。親殺しだの、斧だの、そんな思わずどきっとするような単語が出てくる。 だが、その事件よりも危ないと思ってしまうのが、そういったニュースを聞いて、多くの人が『もう日本も駄目だね』などといったような言葉を口にしている事だ。 その言葉には、何となく『自分には理解できない』『自分ではどうしようもない、そういう時代なのだ』そんな風なニュアンスが込められているような気がしてならない。

やけによそよそしいというか、自分の世界にそのニュースが入ってきていないというか。言葉を借りれば、『平和ボケ』しているというか。事件が起こっても、その事件を受け入れないのだ。軽く受け流して、心の中は平和なのだ。関心のあるニュースはと言えば、人の死よりもスキャンダルなのだ。

それで済むのなら、それはそれで幸せなのかもしれない。だが、そのような受け流し方でいつまで我々はやっていけるだろうか。椎名氏も言っているように、現代は犯罪国際化時代。 いくら現在の日本が冒頭に挙げたような危なっかしい国でなくとも、いつまでも『よそはよそ』、では日本人の平和ボケはいつか取り返しのつかないことになってしまうのではないだろうか。
野中潔

2007年11月 6日

オレって「うつ」なのか!?

[CIRCUS]
マガ出典雑誌/何事にもイマイチやる気が出ない、最近よく眠れない、以前より食が細くなった……等々、思い当たることはありませんか? もしかしたら、「うつ」の症状かもしれませんよ。

近年急増しているうつ。うつ病患者は6年間で2倍以上になったのだとか。「CIRCUS」(KKベストセラーズ)12月号の「オレって『うつ』なのか!?」では、大きな社会問題にもなっているうつが特集されています。

記事にはうつになりやすい人の特徴、うつに対する対処法、うつを扱う病院の種類、うつと偽うつの見分け方等、うつに関する様々な情報がズラリ。仕事もバリバリこなし、プライベートも充実させている勇猛果敢な人間でもうつになる、「ストレスがない」と言っている人が一番危ない、といったうつに関する意外な事実は目を引きます。 うつって最近何かと話題になるけど、どんなものかよく分からない。そんな人はこの特集を読んでみてください。うつに関する知識が身につきますよ。

一昔前なら、「詐病」「怠け癖」等と言われていた「うつ」。しかし、最近は雑誌で特集が組まれる程、社会的に認知されてきました。この様に、うつに関する正しい知識が広まっていくのはとても良いことだと思います。うつになった人は、「精神的に弱いダメなやつ」と思われるのを避けようとするあまり、周りの人に自分がうつであることを言いたがらずに、症状を悪化させることが多いそうです。

昔に比べれば広く知られるようになったとはいえ、「うつになるのは特別な人、なんか普通じゃないよなあ……」という認識が日本人にはまだあるようです。社会問題となっているうつのことを皆がもっと知り、うつになった人が周囲に気軽に相談できるようになってほしいですね。
吉田隼人

2007年11月 1日

シリーズ「トップランナー」三木光範氏

[月刊ウェッジ]
マガ出典雑誌/情報化社会、という言葉。今ではブームが去ってかその言葉を聞く事は少なくなったが、今の社会を表現するなら、これほど的確な言葉は他にはないかも知れない。

情報化社会。人々の所有する情報量が増え、情報の価値が上がり、人々の生活が文字情報によって効率的に動いていく。それは、考えようによっては実にすばらしい社会だ。 だが一方で、情報化社会の抱えるこんな問題を取り上げ、社会のあり方を疑問視する人もいる。

同志社大学工学部の教授であり、システム工学や知的システム設計を専門とする三木光範氏は、航空機からコンピュータ、人工知能を埋め込んだ照明まで、幅広い分野で実に大きな成果を上げ続けてきた人物だ。 彼の人生は、自らが『おもしろい』と思うものを追って来た結果なのだという。彼は、現代の『情報化社会』をこう危惧している。

「何がいいかはマニュアルでわかっているからと、それに従って生きる。(中略)そうしてみんな訳知り顔になって、若者までもが老人化してしまった。それでは、新しい発見は生まれません」 「デジタル化とかバーチャル化とか人と会わないとか、実体験の機会が少なくなってきていることで、体験を通じてしか生まれない“感覚”が鈍っているのです。これを止めなければいけません」

昔は、コンビニとかパソコンなんて便利なものは無かった。閉じこもり、パターン化された生活の中で今、体験や感動を伴わない情報だけが過剰に飽和し、我々は、感動や自らの感覚を忘れかけているのかも知れない。 何か、おもしろいと思えるものが周りにあるだろうか。持ち前のマニュアル的な情報で全てを判断し、自らの感性を自己完結させてしまってはいないだろうか。

もちろん、情報化社会、価値のある情報というものを完全に否定する気は毛頭ない。情報化社会になって便利になったこともあれば、多くの不可能が可能になったのもある。 だが、社会がシステム化される中で、閉鎖的、無感動的になっていく我々の生活に、三木氏の言葉は重要なものを警告しているように思えてならない。
野中潔