連載/おじさんは白馬に乗って
世界文学「カラキョウ」化計画
[週刊現代]
「カラキョウ」……と言われて何のことだかわかる読者は何人いるだろうか。
“空っぽの教室”とか、“から回りする教師”とか……いやいや、違うんである。実はこれ、かの有名なドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』の略称なのだ。もちろん学術的な略称では断じてない。日本の若者が勝手にそう呼んでいるだけである。それもこれも、光文社から出版された同書の新訳の文庫が大売れしたからだそうで。……ということは、世界中の古典文学作品に可愛い愛称をつけてまわれば、今まで煙たがられていた作品も「カラキョウ」の後を追うベストセラーになるのではないか?――記事を要約すると、そんな感じである。
まあもちろん、ベストセラーになった理由はそれだけでないということも記事中でしっかりと示唆されている。曰く、「カラキョウ」の登場人物は「いつまでもマッタリべったりだべっている」だけで、「まるで一晩中ネットでチャットをしているみたいだ」。ドストエフスキーのその他の作品も、『罪と罰』は「お金がなくてサラ金(?)の婆さんを殺しちゃった大学生」、『地下生活者の手記』は「完全な引きこもり」であり「遺産があって働かなくてすむのでニート」。要するに、登場人物たちが現代の若者に限りなく近いのである。
古典文学は読めば面白いに決まってる、と、このコラムを連載する高橋源一郎氏は言う。 そりゃそうだよな、と思う。古典文学は、今読んでみて「面白い」とか「芸術性が高い」と思う人がいるからこそ残っているのだ。全ての人が「これは古典と呼ばれているが、無価値なものだ」と判断した作品ならば、残っているわけがない。
しかし、「カラキョウ」はいかがなものか! と。「セカチュー(世界の中心で愛を叫ぶ)」じゃないんだからさ、と思うのは私だけではないはずだ。 そしたら『罪と罰』は「ツミバツ」? 『我輩は猫である』は「ワガネコ」? 文中にあるように『ドン・キホーテ』は「ドンキ」なの? 略して呼べば呼ぶほど、世界に現代日本人の低レベルさを発信しているように思えてならないのだが。
當間 光沙




