「誰かに必要とされたい」症候群
慌しく日々の生活を送る中で、ふと我に返って感じる孤独、空虚感――そして湧き上がる、「誰かに必要とされたい」欲求。今回紹介する記事は、このような欲求を「誰かに必要とされたい症候群」と名づけた上で、その患者たち(?)が主体的に生きがいと居場所を求めていく様子をつづったドキュメント集である。
一口に「必要とされる」といっても、人によってその形は様々だ。自室に引きこもっていたニートが社会から必要とされたくてボランティアに参加した例もあれば、キャリアウーマンだった女性が営業を断られる内に自己否定をされている気分になり、自分を求めてもらえる風俗嬢に転身した例もある。
記事中では、「必要とされる」ことに成功し活き活きと暮らし始めた人々を書く一方で、「『人のため』の行動が『自分のため』になる」などと、少々異常ともいえる欲求を皮肉交じりに解説している場面もある。
具体的な例として挙がっているのは、「売れないアイドルのCDを買って支える」のが自分の役目だと思い込み、アイドルから必要とされることに喜びを覚える会社員や、駄目な男に尽くすことによって「自分は必要とされていると思い込む自己暗示」をかけている看護師など。
数え切れないほどの人が存在するこの世界で、自己発信だけして生きていても、誰かがそれを拾って返してくれない限り他人の存在を意識することはできない。
「必要とされた」ということは、自己発信を受け止めてくれた人が更に自らを「発信し返してくれた」ということで、それは一種のコミュニケーションとも言えるのかもしれない。
ただ、それが過度になりすぎているのが問題なのだろう。
特に、携帯電話やインターネットの普及で24時間の連絡が可能になった昨今だからこそ、人々は目に見える形での「存在意義」でないと認識できなくなってしまったんではないか。
「必要とされたい」。誰もが持っているこの欲求は、扱い方を間違えると自らの身を滅ぼすことにもなり得る、諸刃の剣なのかもしれない。




