満月雑記帳(中野 翠さんのエッセイ)
[サンデー毎日]
少し前からよく題名を聞くようになった、一冊のベストセラーがある。部数は百万を越えるベストセラー。有名女子大の学長が書いた、女性の振舞い方、ひいてはあり方、心の持ち方を書いた本。ここまで書けば、お分かりの方も多いと思う。ずばりその本とは、『女性の品格』(PHP研究所)だ。この女性の品格という本。自分は読んでみてそれなりに思うところはあったのだが、それにしても印象に残るのは、付き合っている人の種類のせいなのかもあるいは知れないが、とにかく、話の席で題名を聞けば、必ずといっていいほど批判の話になるということである。
そしてここにも、また痛烈な『女性の品格』批判がある。
『想いっきり拍子抜けした』
『終始、「何を今さら」と思った』
『不思議でたまらない。なぜこの本が多くの女の人の心をとらえたのか。』
このような言葉だけを見ても、このエッセイを書いた中野翠さんが読みながらどんな顔をしていたのかが想像できるようだ。確かに、「何を今さら」というのは、知り合いとの話の中でもよく出てくる批評であり、自分で読んでいても思った事ではあった。 しかしそれだけでは終わらず、翠さんはエッセイの中で、この本は『「ソツのない人」となって、集団の中で一目置かれたい』という欲望を期せずして掘り当てた本、と分析している。
話は少し変わるが、自分がこの本を読んで思うところがあった、というのは、見てくれだけでは中身は変わらないけれども、外見を徹底的に変えることが出来、外見だけでも理想の自分になれば、もっと自分に自信を持てるかも、という気持ちを持っている人はけして少なくないのかも、ということである。『品格』という言葉は、それを与えてくれる何かの象徴のように感じられたのではないか、と。
そう言えば、『品格』と名のつく有名な本がもう一つあったが、これはそれにも共通して言える事ではないだろうか。
自分も見てくれや印象にこだわるところが多少なりある以上、『品格』を謳う本を完全に否定することは出来ない。多くの人が否定するほどの批評は出来ない。だが、エッセイの中にある通り、『品格』というのは本を読んだくらいで得られるようなブランド品のようなものではなく、その外見を支える中身があってこそのものなのだろう。それが女性でも、あるいは国家でも。
野中 潔




