今週の気になるマガジンレビュー
ちょっと気になるトレンドを、編集部がピックアップ。おもしろ・まじめに語ります

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2007年8月 バックナンバー

2007年8月30日

無料ウェブアプリ100

[週刊アスキー]
マガ出典雑誌/Gmailなどのインターネット上のメールサービスを利用している人は多いと思うが、そんな風に、本来パソコンのソフトなどでパソコンに入れて使うような機能をネット上で使えるようにしたもの。それがウェブアプリだ。

こういうのがあったらいいな、と思っていた。無料ウェブアプリ特集。パソコンに目の肥えた『週刊アスキー』が選んだ100ものウェブアプリが、この中に紹介されている。

いざ読んでみると知っているものも結構あったが、今まで知らなくて、これは便利だな、と思ったものもいくつもあった。いいとこ取りで紹介してもいいのだが、せっかく個性の出せるこの場なので、100の中で自分が特にいいと思ったものをいくつか紹介したい。

まずは、もはや有名になってきているが、『ThinkFreeてがるオフィス(http://www.thinkfree.co.jp/)』。
MicroSoft社のOfficeシリーズ(Word,Excel,Powerpoint)を使っている人は多い(自分もその一人だ)が、それをインターネット上で利用できるようにしたものだ。本当にこれが無料でいいのか、と疑いたくすらなる。
 
『出張JAWS(http://fairyware.jp/jaws/)』。これは、経路検索や宿泊施設探し、食事情報など、出張に必要なサービスをいろいろ組み合わせて、使いやすくしたものだ。
予定表を作ったりいろいろ考えたりするのが苦手な自分には重宝するサービスだ。計画書という形で見やすく印刷したりも出来る。
 
最後に、『YouTube Remixer』。画像編集の方法はいろいろあるが、このYoutubeの付属ツールになっているアプリは、Adobe製の操作性の高いもので、エフェクトなどの設定も簡単に出来る。
ただ、英語のものしかないようなので、操作を覚えるまでがちょっと手間がかかるかもしれない。初回アクセス時にチュートリアルが利用できるので、利用してみるといい。
また、これに関してはアドレスが雑誌ではyoutubeと同じになっているが、実際は『http://www.youtube.com/ytremixer_about』が多分入り口だと思う。
『Youtube Remixer』で検索してみるのもいいと思う。Googleで検索したところ、操作方法を日本語で教えてくれるサイトがヒットした。

 他にも、写真編集、スケジュール関係、検索系など多くのサービスが紹介されている。雑誌片手に、自分のパートナーとなってくれるウェブアプリを探してみてはどうだろうか。

野中 潔

2007年8月29日

自然しらべ2007 夏休み セミのぬけがらを探せ!

[読売ウイークリー]
マガ出典雑誌/読売ウイークリーと財団法人日本自然保護協会、そしてNTTレゾナントがこの夏共同で実施しているキャンペーンがある。その名も「自然しらべ2007 夏休み セミのぬけがらを探せ!」。今回紹介する記事はその中間報告。

なんでもこの調査で、東京都内でのクマゼミの繁殖・増加が確認されたらしい。 かつてはちらほら見つかるだけだったクマゼミのぬけがらは、今では一般人でも見つけられるほど増加。鳴き声もあちこちで聞こえるようになった。原因としては人為的に幼虫や成虫を都内に持ち込む人々が存在することと、ヒートアイランド現象や温暖化現象の影響により幼虫や卵が冬を無事に乗り越えられるようになったこと。このままいくと2030年には東京はクマゼミだらけ……。

ぎゃー!!

ここまで冷静に書いてきたが、正直私は虫が嫌いである。大嫌いである。死ぬほど嫌いだし、むしろ世界中から消えていい!! くらいに思っている。

幼少時に祖母が、総菜屋でくれるようなプラスチックの丸容器にセミの抜け殻をめいっぱい詰め、「Yくん(弟)が好きかと思って」と渡してくれたことを覚えている。弟は非常に嬉しそうにしていたが、私は見るだけで背筋に寒気が走っていたっけ。

それでもまぁ、セミの声は案外いいものかな、と思っていたりする。 実はセミの声というものは、「日本独特のもの」だということをご存知だろうか。 生まれてからひたすら土の中で成長し続け、あるときその生涯七回目の、言い換えれば最後の夏を察知して地上へ這い上がってくるセミ。当たり前だが、四季のある国にしか存在しない。 よく邦画で夏を表す効果音としてセミの声が使用されていることがあるが、あれをハリウッドらへんの人々が見ると、単なる雑音だと思ってしまうんだそうである。

うーん、軽くカルチャーショック。 セミによって鳴き声違うし、あれを聞くと手軽に子供時代の夏休みを思い出してノスタルジックな気分に浸れるというのに。

でもやっぱり実物は嫌。 セミだらけ……阻止するために、温暖化対策でも始めようかな……。



當間光沙

2007年8月28日

「歴代横綱『超ワル』伝説」

[週刊プレイボーイ]
マガ出典雑誌/「品格が無さすぎる!」「全ての力士の模範となるべき立場にあるにも関わらず何をしているんだ!」

現役最強横綱、朝青龍が骨折を理由に巡業を休んでいた間に、故国でチャリティーサッカーに興じていたことが発覚し、メディアで痛烈な非難を浴びています。一部では引退説も囁かれているのだとか。朝青龍を擁護 する声は殆ど聞こえてきません。

いや~世間は厳しいですね。しかし、今週号の「週刊プレイボーイ(集英社)」の「歴代横綱『超ワル』伝説」によると、歴代の横綱に比べれば朝青龍の行為は「悪行番付から言ったらせいぜい前頭5枚目」だそうです。

例えば60年代の英雄である大鵬と柏戸は、ハワイ巡業でピストルを購入してそれを1年余り所持、ピストルの不法所持で警察の厄介になっているそうです。普通の犯罪行為ですね……これは。両名はピストルを隅田川に捨ててしまい、警視庁を上げての大規模な川ざらいをする羽目になったのだとか。

他にも親方夫人を殴った挙句失踪した双羽黒、休場中に当時来日中だった3Aチームの試合を見に行って監督を記念写真を撮ってしまった前田山など、歴代横綱の数々のヤンチャぶりが紹介されています。

確かにこれらに比べたら朝青龍の“仮病サッカー”なんてかわいいものですね。

記事にもありますが、そもそも相撲で頂点に立つ様な人間に、社会の枠からはみ出すなと指図するのが無理というものです。ちょっとくらい良くないことをしても、土俵の上で結果を出して観客を沸かせることができればそれでいいのではな いでしょうか。

今回の朝青龍のしたことは確かに問題ですが、低迷していた相撲人気を盛り上げた彼の功績からすれば、全く許容範囲のものだと思います。バッシングで引退に追い込んでしまうのは角界にとって大きな損失なのではないでしょうか。

でも朝青龍はサッカーもあんなにうまいんですね。引退後はサッカーでモンゴルをW杯に導く……そんな姿も見たかったりします。
吉田隼人

2007年8月23日

ビリーのキャンプで“負傷兵”が続出!

[週刊朝日]
マガ出典雑誌/腹筋が割れたいですか? ――はい、私は腹筋が割れたいです。

何だか英語の教科書に例文として載りそうな構造の文章ですが、これは英語の教科書からの引用ではありません(当たり前だ)。

腹筋が割れたいですね。運動部だったことはあるけど根っからの文化系の私、慢性的な運動不足です。特に腹筋がアレで、一部の筋肉ある方々を鋼鉄の、メタルの身体の持ち主と言うのならば、もう既にオチは見えていますが、私はその一文字違いです。

腹筋は割れたいです、でもろくに運動してないのに軍隊は多分無理です。何を言うかと言えばもちろん、今流行のいわゆる『ビリー』のビリーズブートキャンプですね。 深夜の通販番組からブームの始まった、軍隊のトレーニングで行われていたというプログラム。エクササイズの商品としての人気は非常に高いです。

通販サイト「楽天市場」での上半期ランキングで総合一位というのだから、そのすごさが窺われるでしょう。

すごいのは売れ方だけではありません。そのハードさも、エクササイズとしてはトップクラスのようです。

記事で取り上げられている川崎市の宮前まちの整骨院には、ビリーズブートキャンプで腰を痛めたという人が七月以降のみで五人も来院したとのこと。肉離れや腰痛を引き起こす患者が続出しているらしいです。

ただ、この記事が面白いと思ったのは、単なるバッシングに終わらず、前述の整骨院の院長である小林篤史さんによるビリーズブートキャンプの注意と、ビリーズブートキャンプの意義、ビリーの功績についての意見が述べられているというところでした。

例えば後ろ向きに高くキックする動作。こういった動きは、日常生活にないために、特にハイヒールを履いたりしている女性には危険なのだとか。やってみたら確かにどこかで骨の鳴る音がしました。確かに言われてみると、こういった動きは日常にはないものですね。それこそ馬のごとく誰かを蹴っ飛ばしでもしない限り。

ビリーさんと一緒にトレーニングする方はぜひ、そういった注意点も考慮しつつ、楽しんでやっていただきたいものです。怪我をして入院になり、馬のごとくビリーさんを蹴っ飛ばしたくなるような結果になりませんように。


野中 潔

2007年8月21日

現代の肖像 山田ズーニー

[AERA ]
マガ出典雑誌/「ほぼ日刊イトイ新聞」内コンテンツ、「おとなの小論文教室。」で人気を博したコミュニケーションインストラクター、山田ズーニーさん。今回紹介するのは彼女のインタビュー記事だ。 “コミュニケーションインストラクター”という聞きなれない肩書きは、大抵「挨拶の仕方」や「電話での受け答え」などのマナーともいえるテクニックを指導する人間が用いている。しかし彼女の教えるコミュニケーションはそれとは違う。一言で言えば、「自分の考えを言葉にして伝えるための具体的な方法」である。

元々はベネッセコーポレーションに勤め、高校生向け教材を編集していた。その際、苦労に苦労を重ねて作ったのが小論文の教材だった。「自分の中にある考えを引き出し、言葉にして相手を説得するというアウトプット型の表現法」は、現在も彼女の中に生かされている。

物事をよく考え、それを言葉で表現することに重きを置く彼女。
一見とてもシンプルなことに思えるが、日常生活の中で実践されているかどうかといったら怪しいのではないだろうか。
テレビやラジオ、そして新聞やインターネットなど、様々なところから私たちは情報を与えられる。しかしそれらはただ私たちの目の前を通り過ぎていくだけで、記憶の中に刻み付けられることなどめったにない。よく「〇〇の事件から半年が過ぎて……」などと言われると、その事件の存在すら忘れている自分に気がつきはっとすることがある。

日々の中で、自信を持って「私は考えている」と言える人がどのくらいいるだろう。
少なくとも、私は言えない。
ましてやそれを表現することができているだろうか。

山田さんの目指す教育は「自分の想いを言葉で伝えられる人を育てる」こと。
一般的な人間に唯一与えられた伝達ツールは言語。ならばそれは中途半端に使用しても全く意味のないものなのではないか。
一所懸命に言葉を使うこと。全ては伝えられないかもしれないが、少なくとも伝えようとする意志を持つこと……。

文章を仕事とする人だけでなく、全ての人間にとって必要なことだと思うのだが。



當間光沙

『食の安全』

[クーリエジャポン]
マガ出典雑誌/北海道に行った友人が買ってきてくれた「白い恋人」は大丈夫だったかな……。ミートホープ社の挽き肉偽装事件が一段落した後も、「食の安全」について何かと話題になりますね。もちろん、「食の安全」が騒動となるのは日本だけではありません。今回ご紹介するのは「COURRiER Japon」(講談社)の、日本でもちょっと昔に物議を醸した遺伝子組み換え食品に関する記事です。

記事によると、06年にアメリカで遺伝子組換え米が商用の米に混入していることが次々と発覚したそうです。この事実が報道されると、アメリカの米の価格は大きく低下し、欧州は米国産の米の輸入を停止。日本やイラクなどの各国も米国産米に対する厳しい検査を要求し、アメリカの米業界を揺るがす事態になりました。遺伝子組み換え食品のことを「生きた公害」と呼ぶ人もいるのだとか。

また、中国では外資系食品メーカーが菓子に遺伝子組み換え食品を使用していて、一部の環境保護団体の批判の対象になっています。

世界各国で騒ぎを起こしている遺伝子組み換え食品ですが、本当に使用してはならないのでしょうか?

私は、未来のことを考えると、積極的に使用すべきだと思います。食糧危機はこれからさらに深刻になると言われていますが、耕地の面積には限界があります。遺伝子組み換え技術を駆使して作物の収穫量や栄養価を高めていかないと、多くの人々が飢餓に陥るのではないでしょうか。そもそも、人類が自然の中で暮らしていた時にはあり得なかった、ありとあらゆる食品が手に入るようになった時代に、完全に安全な食品を求めるのも難しいと思います。これだけ豊かな食生活を維持したいのであれば、ある程度自然の摂理に反することはしなければならないのではないでしょうか?

  まだまだ解決しなければならない問題は多いようですが、もっと広く使える様になってほしいものです。まあ、段ボール入り肉まんよりは安全なのではないでしょうか……多分。



吉田隼人

2007年8月 9日

『日本人の再生を考える』

[サンデー毎日]
マガ出典雑誌/この時期になると、毎年公営放送では戦後○○周年記念の戦争に関する特集が行われる。今年は戦後六十二年だと言っていた。

テレビの中では、生き残った人たちが、あるいはもっと若い人達がこのようなことを何度も繰り返している――『私達は、戦争の恐ろしさを語りついでいかなければならない』。

こういった特集を組み、一年に一回でも、起こった戦争を振り返り、戦争を語り継いでいくという志を新たにする。それはすばらしい事だと思う。自分も『戦争は恐ろしいもので、語り継ぐ事によって、こんなことが起きないようにしよう』と言えるくらいの知識は持っている。

だが、それでも、自分は戦争の特集というものをやっているのを見ると、『語りついでいこう』とテレビの中で言っているのを見ると、どこか奇妙な感じを覚える。

語り継ぐという行為によって、本当に戦争は語り継がれるのだろうか。語り継がれた自分は、それを子孫に語り継いでいけるのだろうか、あるいはその権利があるのだろうか。そんな違和感である。

そんな時期であることもあってか、作家の五木寛之さんと考古学者の大塚初重さんの戦争に関しての対談を記事にしたこの記事に目が留まった。

  大塚さんは十九歳で輸送船を撃沈され漂流、五木さんは生まれてまもなくから十五歳まで朝鮮に住み、いわゆる『引き揚げ』を体験した。

『自分は済州島沖で一度は死んだ身なんだ』(大塚さん)『生き残った人間は悪人である、という意識をそのころからずっと抱えているんです』(五木さん)こういった言葉が印象深かった。自分を助けるために、結果的に他人を何人も見捨ててきた。そんな体験談はあまりに戦後となった今の時代とはかけ離れている。

業、あるいはカルマといった方が馴染みがあるだろうか。その重さは、語り継ぐ事によって語り継げるものなのだろうか。自分自身の体験によってそれを背負う事以外に、それを実感することが出来るのだろうか。

『カルマ』が見えなくなりすぎたのは、この効率のよい社会の一つの弊害ではないかと思う。例えば、コンビニで、スーパーで、きれいに袋詰めされた商品を買う。その裏で安い賃金で働く人、商品の製造の際に出るゴミ、過程で出る化学物質、それらは自分達には見えない。

他人を踏みにじって、世界を汚して生きていることを実感できない、だから他人への配慮ができない。そんな『カルマの感覚』の欠如が、いわゆる『問題のある人』の数を増やしているのではないだろうか。

野中潔

2007年8月 7日

今読みたいドラマ映画の「原作本」100冊

[日経エンタテイメント]
マガ出典雑誌/今期の連続ドラマのタイトルを並べてみると、妙に見覚えがあるものばかり。『探偵学園Q』『ホタルノヒカリ』『女帝』『花ざかりの君たちへ』『ライフ』……。実はこれ全部、原作が存在するものなのだ。

というわけで今回紹介するこの記事では、映画・テレビ業界がオリジナル脚本ではなく、人気のコミックや小説を原作に用いた作品を放映する「原作ブーム」について言及している。

紙面によると、こうした原作ブームの背景にあるのは「エンタテイメント業界におけるメディアミックスの進化」らしい。マスメディアを中心とした複数の企業が映像化に出資、各媒体を駆使して広報を行いそれを盛り上げる「制作委員会方式」と呼ばれるものが定着。原作を販売する出版社も映像化に積極的に関わるようになったという。 なるほど、最近映画やドラマのスタッフロールの最後に「〇〇制作委員会」とつくのはそういうわけだったのか。

にしても、本好きの私としてはやっぱりこの原作ブームに解せないところはある。思い切り主観の意見を言わせてもらうと、小説や漫画が映像化されることによって「失われる」部分も大きいと思うのだ。

例えば小説の魅力は、自分で文字を追って想像をし、頭の中でもう一つの世界を作り出すことだと思う。しかし映像化してしまうことで、映画を観てから小説を読む人にはある種の固定されたイメージを与えてしまうことになり、逆に原作が好きな人にとっては自分の中のイメージが壊されることになってしまう。

作家の奥田英朗氏は原作者にとって映画は「いとこ」のようなものだという。似ても似つかないものになっても仕方がないが、知らん振りすることもできない血縁関係は存在する。

基本、私は原作と映像は別物だと思って観ることにしている。やはり好きな漫画や小説が映像になれば気になって観てしまうが、『ハリー・ポッター』みたいにイメージぴったり! なんてことは稀だと思うのだ。

ちなみに今まで観た映画で「原作どおり!」と感激したのはわずか3本……。

原作ブーム、一体いつまで続くのだろうか。
當間光沙

『予測する力』を読んで

[セオリー]
マガ出典雑誌/今晩の天気や明日の株価、来週のレースで一着になる競走馬……等々、事前に知っておきたいことって世の中にたくさんありますよね。でも未来を予測するのは本当に難しいものです。私も学生時代、試験のヤマを張って何度泣かされたことか……「未来が見えたらなあ~」誰でも一度は思ったことがあるのではないでしょうか? 今日紹介する「セオリー」(講談社)の『予測する力』では各界の著名人の「先を読む」能力の数々が紹介されています。

「速報!歌の大辞テン!!」や「エンタの神様」を手がけたことでも知られる五味一男さん。テレビ業界で知らない者はいないヒットメーカーです。五味さんの提唱している「先取りマーケティング」という予測は、自己否定から始まります。自分の主観は間違っていると何度も自分に言い聞かせることで思い込みを無くし、視聴者の立場に立って企画を考えるそうです。

記事では他にも、一局の中で一万手を読む棋士、入試問題の予想をズバズバ的中させる塾講師、突拍子もない仮説を立てる科学作家……等々、色々な予測する力を持った方たちが紹介されています。

どんな分野で活躍するにしても、予測する力は欠かせないようですね。是非とも身につけたいものです。「やっぱり一流の人は特別で、自分には無理かな……」と思うかもしれません。でも、こうして雑誌に登場するような人たちでも、意外なほど地道な努力でその能力を磨いているのです。先に紹介した五味さんも、毎日の様に自己否定を繰り返し、さらには普通の人が詳しく見ない「毎分視聴率」を徹底的に分析し、企画を作り上げています。人気エコノミストの上野新也さんも、ちょっと偉くなると部下に任せてしまいがちな情報収集等の地道な仕事から、全て自分で行うそうです。

予測する力は特別な人に与えられた能力の様に見えますが、日々の努力の賜物なのです。明日、来週、一年後に泣かないためにも、是非見習いたいものですね。
吉田隼人

2007年8月 2日

満月雑記帳(中野 翠さんのエッセイ)

[サンデー毎日]
マガ出典雑誌/少し前からよく題名を聞くようになった、一冊のベストセラーがある。部数は百万を越えるベストセラー。有名女子大の学長が書いた、女性の振舞い方、ひいてはあり方、心の持ち方を書いた本。ここまで書けば、お分かりの方も多いと思う。ずばりその本とは、『女性の品格』(PHP研究所)だ。

この女性の品格という本。自分は読んでみてそれなりに思うところはあったのだが、それにしても印象に残るのは、付き合っている人の種類のせいなのかもあるいは知れないが、とにかく、話の席で題名を聞けば、必ずといっていいほど批判の話になるということである。

そしてここにも、また痛烈な『女性の品格』批判がある。

『想いっきり拍子抜けした』
『終始、「何を今さら」と思った』
『不思議でたまらない。なぜこの本が多くの女の人の心をとらえたのか。』

このような言葉だけを見ても、このエッセイを書いた中野翠さんが読みながらどんな顔をしていたのかが想像できるようだ。確かに、「何を今さら」というのは、知り合いとの話の中でもよく出てくる批評であり、自分で読んでいても思った事ではあった。 しかしそれだけでは終わらず、翠さんはエッセイの中で、この本は『「ソツのない人」となって、集団の中で一目置かれたい』という欲望を期せずして掘り当てた本、と分析している。

話は少し変わるが、自分がこの本を読んで思うところがあった、というのは、見てくれだけでは中身は変わらないけれども、外見を徹底的に変えることが出来、外見だけでも理想の自分になれば、もっと自分に自信を持てるかも、という気持ちを持っている人はけして少なくないのかも、ということである。『品格』という言葉は、それを与えてくれる何かの象徴のように感じられたのではないか、と。

そう言えば、『品格』と名のつく有名な本がもう一つあったが、これはそれにも共通して言える事ではないだろうか。

自分も見てくれや印象にこだわるところが多少なりある以上、『品格』を謳う本を完全に否定することは出来ない。多くの人が否定するほどの批評は出来ない。だが、エッセイの中にある通り、『品格』というのは本を読んだくらいで得られるようなブランド品のようなものではなく、その外見を支える中身があってこそのものなのだろう。それが女性でも、あるいは国家でも。
野中 潔

2007年8月 1日

脱『ひとり』できない私たち-part2

[AERA]
マガ出典雑誌/脱「ひとり」できない……。ようするに、結婚できないということ。「30代でも独身」が当たり前の時代になったとはいえ、やっぱり世間の風当たりはなんとなく厳しい。できれば結婚したい。でもやっぱりしたくない。どうしてだろう? ――そんな人々を紹介したのが今回のこの記事。

主に2パートに分かれており、まず初めに様々な「ひとり」男女の具体例が紹介されている。「ひとりが快適」「親の方が自分を理解してくれる」「好きな人がいない」「条件にあう人がいない」……十人十色に並べられた結婚しない(できない?)理由が、言い訳に聞こえて少々痛々しい。

続いて、「ひとり」125人のアンケートによる年収と独身謳歌度の関係が大マトリクス表にまとめられている。ちなみにその総括によると、「意外なことに、年収と謳歌度は、実はそんなに関係がない」。しかし、それなら独身男女にまったく共通項がないのかといえばそういうわけでもないらしく、曰く「独身男性は自転車が好き(自分で全てを支配できる乗り物だから)」、「独身女性は福袋が買えない(並んだりして労力が大きいわりに気に入るものは少しで、まるで結婚生活のよう)」。

記事全体を見ていて思ったが、結婚できない人たちはやっぱり自由を求めているってことだろうか?
夫婦って、いくら戸籍上は家族になったとしても事実上は他人。他人同士の共同生活なんだから、そりゃあある程度の不自由は妥協しなくてはならないものだろう。本当に血の繋がっている親レベルの理解を求めるのは贅沢ってものかも知れない。

しかし少々恐ろしかったのは「最大の理解者である親が死んだとき、本当の『ひとり』になる」の一文……。ちなみに「結婚してもしなくても、人は『ひとり』では生きられないんじゃないだろうか」と続く。
うーん……やっぱり、多少は妥協するから私は結婚したいです。

當間 光沙