『親子のカタチ』を読んで
[週刊朝日]
アメリカ・イランで実績を積み、日本記者クラブ賞を受賞した『ニュースの職人』を自負するジャーナリストと、フランス語のシャンソンコンクールで優勝経験を持ち、俳優、ラジオパーソナリティといった経験を持ち活躍するシンガー。どちらも多くの人を相手に自分の持つものを表現することを仕事とする二人だが、そんな二人、鳥越俊太郎氏と鳥越さやか氏は親子であり、そして実は、引っ込み思案仲間という、経歴からは想像もつかない一面を共有する『同志』なのだった。
『存在自体がくすんでいた』と親に心配されるほど引っ込み思案で大人しかった次女。そんな娘のことを父親はとにかく褒めるようにしていた、褒めて育てないと駄目だと思ったからだという。さやかさん自身はその時期を、『インプットの時代』と振り返っている。『いじめられたりすると人を見る目が養われる』と。
やがて演劇に目覚め、『内に持っているものを外に出す喜びを覚えた』さやかさん。小さい頃、引っ込み思案で人と話せないタイプだったという俊太郎さんとは、いつしか本音で話すことの出来る相手となり、『ひとつ話すと10分かる』とさやかさんが表現するほどに通じ合った仲になっていた。
小さい頃から、父親として父親ぶったことを言うよりも、本音で向かい合ってくれた父親を、さやかさんは『父親じゃなく一人の人間として接してくれるのが嬉しい』と振り返った。
『同志』――その言葉の意味を考えさせられるような記事である。印象深いのは、この二人が信頼関係を築き上げていながら、けして親子であっても互いに依存しておらず、また依存しようともしていないという点だった。 心の拠り所、という言葉がある。ある人にとってそれは家族、ある人には将来の夢。それが何かは人それぞれだろう。この『拠り所』という表現が、この二人にとっての互いの位置になっているように思える。
『拠る』と『依る』というのは、同じ読みをしていても、違うものだと思う。ともすれば不安定になりがちな自分の芯を支えてくれるものが、『心の拠り所』というものであるが、依存というのは自分の芯をそこに預けてしまうようなものだと思う。 自分が苦しい時に、そういった『夜』からいい方向に抜け出すためには、『依る』ではなく、『拠る』所を持っておくべきではないだろうか。
野中 潔




